THE READING EXPERIENCE

他人のビジネスを擬似体験できる本こそ至高と信じ、そのような本を発掘・紹介するブログです。

なぜ最年少上場ができたのか。幼少期~創業まで/リブセンス<生きる意味>(上阪徹)読書感想/書評

どんな原体験があったら、最年少上場ができるのか

2011年12月7日、リブセンスは東証マザーズに上場した。

「自己啓発本でもなく、教科書的でもないビジネス書」を探すため、他人のビジネスを疑似体験できるノンフィクション本を紹介する本ブログ。本日は、リブセンスの村上氏にアプローチをしてみました。

2011年に最年少上場記録を5年ぶり(直近の記録は、26歳2ヶ月のアドウェイズ・岡村陽久氏)に塗り替えることとなったリブセンス・村上氏。最年少上場記録はつい先日のことかと思いきや、上場して5期目を終えたところであるということで、なんと日が進むのは早いことかと。

同じIT業界に身をおく私としても、リブセンスの行く末は気になる所ですが、ここで2012年の著作を振り返り、「創業までにどんな原体験があったら、最年少上場ができるのか」ということを本記事では究明していくこととし、リブセンスの創業まで(村上氏の大学1年生2月まで)をご紹介します。

リブセンス〈生きる意味〉

リブセンス〈生きる意味〉

 

 上梓されたのは、800人以上の経営者にインタビューしてきたライターの上阪徹氏。ちなみに本書では村上氏のことを「ごく普通の25歳」と表しているが、全然そんなことないというのが当ブログの見解。まぁ私などは勝てる所がひとつも無いというか。

最年少上場当時は、ちょっと悔しいなんて思っていた時期もありましたが、素直にリスペクトして、なんなら自分の子どもが同じように育つように子育て本としてもあやかろうかと思っています。(村上氏を親がどう育てたか、という記述もあり、参考になるのです。)

リブセンスの概要

募集広告を無料で掲載し、採用が決まった利用者には祝い金を出す。これでは男性アナウンサーが「儲かるんですか?」と思わず聞いてしまうのも無理はない。
実際、そのように感じた人はほかにもいる。創業間もなくのころ、学生だった彼らが営業に行った先で、「そんなビジネスモデル、本当に成り立つの?
学生が考えそうな浅はかなアイディアだよね」
といわれてしまったのだそうだ。
だが、成り立つどころではない。創業5年で上場してしまったのだから。

高校3年生の頃から起業を志し、仲間を集め始め、大学1年生でビジネスコンテストに優勝、大学1年の2月に創業。ずっと構想にあったアルバイト募集サイトを2ヶ月強で開発し「ジョブセンス」をリリース。幾多の困難を経て、2年目に年商7000万、3年目に、売上高3億2120万円、経常利益1億5276万円を達成。

この頃大学4年生であるが、経常利益率50%という率も狂っているし、1億5000万円っていう額もやばくて、彼がどのような原体験をもってこのようなビジネスを切り開くことが出来たのかは、多いに興味があるところ。この頃には徐々に知名度もあがりはじめ、最年少上場がほぼ確定とも言われ始めていたのを覚えています。

今日のリブセンスへの個人的見解

今日では、集客の柱であったSEO対策で問題が生じ、Googleのペナルティを受けてしまった影響でしばらく赤字転落の状態が続いているよう。足元ではSEOが復調にあるらしいことと(少なくともペナルティは解除されているように思う)、まだまだ低い人材メディア系以外のビジネスで芽が出て来れば、利益がついてくるのではないか。

株価は最盛期の1/10と低迷しているものの、逆に利益が確保できる体制に移行できた場合のことを考えると割安。バリュー投資を見極めるには、そろそろ底値に近いのでは、という個人的見解があります。

どのような幼少期だったのか

ノンフィクションのビジネス書を読む時に、「なぜ起業したのか」と同じくらい、「どのような幼少期であり、どんな家庭だったのか」も気にして読みます。壮絶な幼少期が、大人になってからのサクセスストーリーを支えているケースがあり、それは平凡で平和な幼少期であった私にとっては、読書体験でしか味わえないので、「THE READING EXPERIENCE」だなぁと思うのです。

村上氏においては「両親はとても普通」と著者がインタビューの感想をもっているように、父は建設業、母は会計事務所を経て専業主婦だとのこと。意図してヒーローを育てようとは思っていなかったが、干渉もせずに見守りつつ、試行錯誤をしてきたよう。しかし、教育方針や、ところどころでの考え方は、「これ真似したいな」と思わせるものがありました。

ちなみに、父が仕事で成功しなかったこと・幸せに働いているとは思えなかった原体験が、従業員満足最大化でブランドストーリーを創りあげた「スターバック成功物語」のハワード・シュルツ氏や、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生して壮絶な幼少期を過ごした孫正義氏の記録「あんぽん」などは、ブログ記事にしようと思っています。

その中で、親族のなかでいえば、身近に経営者がいたことは、起業への敷居を下げていたそうな。

身近な経営者といえば、2人の祖父の存在がある。村上の父方の祖父は、東証一部に上場している運輸会社の代表取締役専務を務めていた。(中略)母方の祖母は、四国松山で版画の三幸という画廊を経営
「例えば、幼いころから身近に政治家がいなければ、いきなり政治家を志すことはあまりないと思うんです。身近に経営者がいれば、経営者を志す心理的なハードルが下がりますよね。社長になることが、自然と選択肢に入るということです」

パソコンは、9歳の頃に入手

後の村上に欠かすことができなくなるツールであるパソコンを買ってくれたのも、母方の祖父だった。「これからの時代はパソコンだぞ、と両親に25万円をポンと渡して、買ってやれといったのだそうです。ちょうどウィンドウズ95が出たころでした。家族と家電量販店に行って、パソコンを選んだのを覚えていますね」

今日までIT系で名を挙げている経営者は、やはり幼少期にパソコンに触れていることが多いように思います。デジタルネイティブ世代と呼ばれていますが、人から言われてパソコンを操作するのではなく、自分でパソコンに向き合い、知識を吸収していった、この差はやはり埋められないものがあるのでしょう。私も、ITやネットの話だからこそ年上の方が信頼を寄せて話を聞いてくれるのであって、これがITでなければ、とゾッとすることも多いのです。

幼いころから、大人と会っていた

「たぶん接待だったと思うんですが、仕事でつながりのある人たちと釣りに行くとき、私も一緒に連れて行ってくれたんです。小学校3年生くらいからですね。東京湾の乗り合い船で海釣りに行きました」

なるほど、ふぅむと思ったこの原体験は、若くしてビジネスを成功させるにはかなり必須の通過ポイントではないか、と個人的にも思います。「石川遼選手が、若くしてインタビューの受け答えがしっかりしてたのは、幼少期から大人とゴルフをしていたからだ」とか聞いたことがあります。すなわち、大人と会う回数に比例して、態度が大人びてきて、子供っぽさが抜け、物怖じしなくなるのです。村上氏も、この法則に当てはまっていると。ちょっと私も、せめて自分の代でうまくいかなかったから…というわけではないものの、自分の子供をせっせと大人に合わせるのは、心がけてみようかなと思う所です。

ビジネスセンスを磨いてくれたのは、母

「料理にはいろんな作業がありますよね。それを効率良くやるためには、野菜を切る一方でお湯を沸かしておくとか、後でうまく炒めるために素材を半分調理しておくとか、そういった段取りが必要になる。段取りを考えて料理をやりなさい、と口酸っぱく教えられました」
母親も起業に大きな影響を及ぼしている。村上がビジネスや経営に興味がありそうだと気づいた母親は、『ガイアの夜明け』や『プロジェクトX』『ワールドビジネスサテライト』などの経済番組を、一緒に見るよう勧めてくれたというのである

母親が、事ある毎にビジネス視点での話題を事欠かさなかったそう。中華料理屋に言っては、セットと単品での餃子の単価を計算してお得な方を割り出したり、スーパーに行っては「単に安売りしてあっても、裏を読み解く」ようなことをしていたそう。

また、実際に『ガイアの夜明け』や『プロジェクトX』『ワールドビジネスサテライト』などの経済番組を見て青春時代を過ごしていたというのだから、ここにはなんだか親近感が湧くものもあります。なーんだ、もっと特殊で難解なビジネスの勉強をしていると思いきや、ワールド・ビジネス・サテライトでいいなら私もそれ見ているよ!と。もっとも、彼は自分の興味に対して素直に全方位生で吸収していったのに対し、私は主に「トレたま」で相内優香アナを見ているに過ぎなかった、という違いはありそうですが。

父親は、子どもを大人の世界に連れて行った。母親は、一緒にテレビ番組を見たり料理したりしながら、子どもの興味を伸ばしていった。それが村上の起業に影響を与えたことは明らかだ。
だが、おそらく、両親も試行錯誤していたのだろう。親が勧めたものの、中学受験には向いていなかった。また、母親は口酸っぱく「本を読みなさい」といっていたが、子ども時代の村上はあまり本を読まなかった。
子育てに正解などない。辛抱強く見守り、サポートを続けたことが、大学時代の創業へとつながり、花開いたのだ。

父、母ともに役割を意識してか自然にかはわからないものの、「試行錯誤の連続であった」ということにはやはり勇気をもらえます。決して、順風満帆に物事が進んだわけではないこと。読書をしなさいと言い続けたがために、読書はしてこなかったとのこと。(もっとも今では読書家だそうであるが)

少年時代に株式投資

その他にも、学生時代に親の進めで株式投資をしたり、何事も見守る親のもとで成功体験を積み重ねていったことが、ビジネス思考のベースを作り上げ、いまの大躍進の糧となっているようです。

「インターネットトレードですね。単元株ではなく、その10分の1でできるミニ株という取引でした。○○社を何株買いたい、と両親に伝えて取引してもらいました」
「ある程度のことはやろうと思ったらできる。子どものころからの日常の小さな成功体験を繰り返したことで、そういう自信が得られました。だから、自分で事業や会社を興すこともできるんじゃないかな、と当たり前のように考えるようになったんです。会社に勤めるのもいいけれど、自分で立ち上げたらどうなるか、やってみたい。これまでも自分が好きなことをできたんだから、起業だってできるだろう。ひとつひとつは小さくても、成功体験の積み重ねで得られた自信は大きかったと思います」

起業前夜、高校3年生から大学1年生2月まで

推薦で入学した早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部には自動的に進学。ビジネスに興味をもち、先にあったとおり経済TV番組などを見たり、この頃には読書をしていたようです。起業を決意したのは高校3年のタイミング。以外にも、はっきりとした理由はなく、ぼんやりとなんとなくビジネスをやることになるんだろうなぁと意識が徐々に向いていたという。しかし、決意してからの村上氏の動きはまた、非凡なるものが大いにありました。

後にジョブセンスのきっかけとなる原体験

「アルバイトしているときに店長に聞いてみたら、ネット上に広告を1回掲載するのに10万円かかったそうです。それで採用したのは、私ひとり。ひょっとして、これってとても効率が悪いんじゃないかと思いました」
「このときの不便さをずっと覚えていました。自分も満足できなかったし、広告を出したお店も満足しているようには思えなかった。不便を解決するのがビジネスだと思っていましたから、これを解決すればいいんじゃないかと考えるようになっていったんです」

ビジネスをやると決めたからこその学部選び

「実験もあればゼミもあって、たくさんのレポートを提出しなければならないことがわかっていました。本当に会社をやりたいのであれば、理系に行くのは無理だと思ったんです。それで、文系にシフトすることにしました」

このような考え方を当時から行うことが出来た事実にあたっては、彼の非凡さが証明されているのか、早稲田大学高等学院の環境もそうさせたのか分かりませんが、「視野が高い」と一言で片付けるのが難しい、優れた意思決定であるように思います。

性格を創りあげた「成功体験」「負けず嫌いだが現実主義でもある」

「中学でも高校でも、勉強やスポーツで、かなわない人がいました。私は負けず嫌いなので、〝人に勝てないことがある〟ということについて、自分の中で消化しきれていたわけではありません。でも、受け入れるしかないですよね。ただ、何かひとつで勝てなかったとしても、総合力なら勝てるかもしれないな、と思うようになったんです。それは、文化祭の運営をうまくやれたことが大きな自信になりました」

文化祭でリーダーになり100人を動かした、という高校時代の原体験も、起業にダイレクトに結びついていることが本書でもわかります。なんか、起業をする際に頼りにする成功体験って、ビジネス関連だけのような気がしますが、きちんと中学・高校時代の自分なりの成功体験も根拠にしていいんだ、心の拠り所にしていいんだ、と思えるのは、いま学生生活を過ごす方々にも大変勇気になる金言なのではないでしょうか。

きっとそのように意識しはじめた途端に、自分の中をただ流れるだけだった時間が、どんどん自分に蓄積されていくように思います。

ビジネスコンテストで優勝

「優勝者の特典がオフィスですから、実際に起業する意欲があることがとても大事だと思いました。本当に起業するということをしっかりアピールする必要がある。また、コンテストといっても、講座の授業がまずあって、その後に行われるわけです。つまり、授業の間にやる気を見せられるチャンスがある」

大学進学後、早稲田大学の「ベンチャー起業家養成基礎講座」が実施したビジネスプランコンテストで優勝。優勝賞品である「オフィス1年分無料」がどうしてもほしくて、競合調査や審査員となる教授への積極的なアピールを欠かさずに、戦略的に優勝を勝ち取ったそう。この時の発表プランは、「ジョブセンス」の原型となるビジネスプラン。彼が、自分の原体験をもとにしたビジネスへの着想にこだわっていくのは、今後も同様であり、WEBメディアという「ものづくり」のヒントになります。

起業までの間に、起業に備えて「営業」を勉強

「簡単にアポが取れないということがわかっただけでも大きかったです。途中からようやく、少しずつコツがわかってきました。半年間ずっとやった結果、どうやって受付を突破するか、どんなトークがアポイントを取るために有効なのか、といったノウハウはずいぶん得られたと思います」
ベンチャーコンテストで評価されたビジネスモデルがあるのだから、早くその事業を立ち上げてみたいと考えてもおかしくはない。優勝したことでまわりからの注目もあったはずだ。
だが、村上は冷静だった。ベンチャーコンテストが終わったのは7月だが、起業は翌年の2月と決めた。準備期間を長く取っただけではない。創業メンバーの全員が起業に専念できる時期を考えたのだ。

この部分が特に、本書の中でも面白かったパート。焦らず、でも段取り良く、戦略的に、ストイックに、という彼の基本的な思考がそのまま活きている部分なんですよね。大学一年生の時に、2月と決めた創業までの間に、営業の勉強のためアルバイトするとは、なんともテンションの上がる疑似体験なわけですよ。

本書を読むということはですね、すなわち、「村上太一は普通の少年である」と断定している著者の意見に対して、なんで普通の少年が最年少上場できるんだ?と理由を探す旅でもあるのですが、「いやぁこれは最年少上場するわ」とそろそろ納得してくるのがここらへんでもあります。人生の展開が早いだけでなく、しっかり考えてるわ、この人、と。

ちなみに本訴では村上氏を「新しい経済人」と称し、震災や民主党政権化にあった2012年頃の暗い雰囲気に対して、打破するヒントを探すみたいな展開であるのだけども、その試みには失敗していると言わざるを得ないかな、とも思うのがこの辺であります。非凡な青年が、きちんと計算して修行したうえに、Google時代、SEOによるネットベンチャー大チャンスの波にきちんと乗って上場をしている。こりゃ再現性は低いでしょう。

創業前から、最年少上場を意識

結果的に25歳と1カ月で上場を果たした村上だが、実は創業する前から、史上最年少での上場を意識していた。
大学1年のときに初めてビジネスプランを作ったときも、最年少上場記録を更新することを目標として記していた。「史上最年少上場というのは、おそらく思いつきで書いたんだと思います(笑)。記録はあまり気にしていませんでしたが、上場することは、大きな会社を目指すなら当然のことだと思っていました。もともと、たくさんの人に喜んでもらって、世の中に大きな影響を与える会社を作りたいと思っていたわけですから」

本書を手に取る際に一番気になっていたことは、実はここでした。意識的に最年少上場を狙っていたのか、結果的に最年少上場となったのか。最初は思いつきだとはいえ、語るうちに応援者も増え、現実的になってきたのでしょう。3年目に売上高3億2120万円、経常利益1億5276万円を達成するわけですから、これは市場性のみならず圧倒的な目標の高さもあってこそとは思いませんか。

リブセンス創業

創業時の資本金は300万円。村上が200万円、ほかのメンバーが合わせて100万円を出した。
村上は200万円もの大金をどう捻出したのか。50万円はアルバイトなどで貯めた。残りの150万円は、両親に借りたという。

2006年2月8日にリブセンス創業。社名の意味は、「生きる意味」。本記事では、今日はここまでのご紹介となりますが、後編、起業から上場までの話も相当な勢いがあり面白いです。本ブログでも記事にするかもしれませんが、本書をぜひ手にとってみて下さい。起業後には「年上社員に対する扱い」「自身の給与」「学生ベンチャーが、「会社」となるまで」等、また魅力的なトピックスにあふれています。

今日の「THE READING EXPERIENCE」

今日の「THE READING EXPERIENCE」という締めくくりのコーナーを設けてみました。定番になるかは分かりません。

本書の中のエクスペリエンスで一番ツボだったのは「2月と決めた創業までの間に、営業の勉強のためアルバイトする」でした。明確な夢を持ち、自信にも満たされてきたタイミングで、自分に足りないものを身に付けるため修行する。絶対楽しかっただろうな。しかも学生時代に。私も、願わくばもう一度学生時代に戻り、味わいたいものである!

しかし、そういうわけにはいかないし、私はモデルと付き合えるZOZOTOWN前澤氏でもなければスターの五郎丸歩氏でもなく、リブセンス村上氏でもないので、せめて本で他人のビジネスを体験し、達成感もあれば地獄もあるエクスペリエンスを味わいながら、人生の糧にできないものか試行錯誤するものであります。

 

リブセンス〈生きる意味〉

リブセンス〈生きる意味〉