THE READING EXPERIENCE

他人のビジネスを擬似体験できる本こそ至高と信じ、そのような本を発掘・紹介するブログです。

「30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由」エスグラント杉本 宏之氏/読書感想・書評

倒産の憂き目とは、どのような壮絶体験なのだろうか。

目の前に闇が張りついていた。2009年3月12日、深夜のことだ。(中略)この日、私が社長を務めるエスグラントコーポレーションは、東京地方裁判所に民事再生を申請した。負債総額191億円。私個人としても、上場を果たしたことで得た100億円近い個人資産をすべて失い、逆に13億円ほどの借金を抱えるところまで追い込まれていた。

本書「30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由」は、ワンルームマンションのイノベーションで市場を席巻した最年少上場男のエスグラント・杉本 宏之氏の自伝本。

30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由

30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由

 

当ブログでは、読書によって得られる他人の人生の疑似体験=「THE READING EXPERIENCE」の視点から、書籍をレビューしています。そのようなエクスペリエンスこそが、自己啓発本や教科書的なビジネス書よりも、得るものがあるのではなかろうかと。そんなアプローチをしながら、私の読書ライフをゆっくりアウトプットできればと。そんなブログです。

ところが、ここでとんでもないエクスペリエンスと出会ってしまったわけです。100億円単位の借金を背負ったことあります?債権者から怒鳴られたことあります?

私自身は零細企業の経営者で、なんかいろいろ聞く銀行の始末などを鑑みて「無借金経営」に徹しております。すなわちリスクを負っていないだけの小心者なので、では本のなかだけも疑似体験してみようと本書を手に取るや、ですよ。

栄光も苦悩も、自身の言葉で克明に綴られており、大変に興味深い読書体験となったわけです。本書は杉本氏の生い立ちから復活までを描いておりますが、「栄光」「地獄」にフォーカスして、ご紹介。

身を起こす杉本氏

いつも経営者の自伝本を読むときは、「なぜこの人は起業を決意したのか?」「いつ頃から才覚を現していたのか?」ということをチェックしています。元ペイパルのイーロン・マスク氏は12歳の時にはゲームを自作していたり、ドン・キホーテの安田氏は29歳まで麻雀をして暮らしていたり。そこにも、本に没入できるポイントが隠されていたりするものです。

ワンルームマンション販売会社に就職した私は、夢中で働いた。1年目には社内で20位だった営業成績も、3年目にはトップに立つことができた。22歳にして年収2000万円を稼ぎ、最年少の管理職に選ばれた。
9・11をきっかけに起業を決意する株式会社エスグラントコーポレーションを起業したのは、2001年12月のことだった。

育ちは「貧乏」「川崎のワルガキ」から、父との家庭内事件をもとに立身を決意。仕事バリバリ系の青年期から、起業を志すきっかけは9.11同時多発テロだったとのこと。22歳にして年収2000万円って。当時の不動産の活況は知らないし、本人も相当頑張ったと思うけど、センスもあったんだろうなー。

起業してすぐ、倒産の危機
会社はスタートを切ったものの、お世話になった会社から多数の社員を引き抜いたこともあり、業界団体からの誹謗中傷、妨害が凄まじかった。金融機関も一緒にエスグラントを業界から締め出そうという動きがあって、創業当初は、いきなり倒産寸前まで追い込まれた。
「社員を自分の家族だと思って本気でぶつかり合おう」喜びと責任を感じつつ、私は固く決意した。時には怒鳴り、檄を飛ばす私の思いに、社員たちも応えてくれた。「きっと、エスグラントは終わったと誰もが思っているだろう。だが、勝負はここからだ」社員が一丸となることで業績はV字を描くように回復し、上場という夢に向かって伸びていくことができたのだ。

社長としての幾多の経験は、25歳の頃の倒産の危機からはじまり、1期目の7億円から、2期目は21億円へ、3倍の売上げに到達した頃から研ぎ澄まされていくよう。

本を読み、人と会う

この後、最盛期に年商377億まで到達している男の源流として、さらには、この頃の努力がいわば下積み的に「才能を自覚する時期」として一役買っていたのではと印象深い箇所があります。

この時期、私は経営に関する本を手当たり次第に読み漁った。
週に3回はビジネスで自分よりもレベルが上だと思う業界キーパーソンや異業種の経営者に会うことを自分に課した。経営者にとって、人脈や人を見る目が不可欠であることを感じたからだ。

私は本は読むけど、いつの間にか人と会うことはそこまでやらなくなったな。。そもそもの視点と水準が違うので、比較にもなってはいないと思うけど。しかし、デキると思わせる社長はやっぱり「酒をのめ、本を読め」とか「人と会え」とかそういう事をいうので、ビジネス書でよく見かける”あっ同じこと言ってるのまた見かけた”現象として記憶していくのであります。

不動産業界では最短・最年少上場し、栄光へ。

勢いに乗ったエスグラントは、2004年6月、第3期目を売上高57億円、経常利益2億2000万円で終え、前期比2年連続で300%近い増収増益を達成した。
この時、私は28歳。エスグラントを起業して、まだ48カ月しか経っていなかった。エスグラントはワンルームマンションのデベロッパーとして、短期間で上場に漕ぎ着けることができた。(中略)28歳でエスグラントを上場した私は、史上最短にして、最年少社長としての上場記録を更新したのだ。

上場し、ここから周りの環境が激減していくこととなります。ここ、エクスペリエンス・ポイントです。自分の車に運転手が付く生活ですよ。秘書は付けるでしょうけど、運転手って今でもそうなのかな?まぁ会社によるのかな。いずれにしても28歳で運転手付きになるって相当な経験では。

会社と私を取り巻く状況は様変わりした。三菱銀行や大和証券など大手企業役員OBが監査役会に名を連ねるようになった。3カ月に1回の決算説明会は毎回50人 - 100人の株主、アナリスト、報道陣の前で発表をするようなった。自分で運転しての車通勤は危ないからと運転手が付き、秘書が付き、経済誌や業界紙の取材などでスケジュールが次々に埋まっていった。
業績も順調なようです。
エスグラントの業績は、右肩上がりで伸びていった。新規事業への先行投資を重ねながら、2006年12月には、中間期にして売上高202億円、経常利益17億円の上方修正を発表した。中間にして、前期決算額を早くも上回る数字を叩き出したのだ。時価総額は200億円に迫り、私個人の年収も、29歳にして3億円を超えた。

順調な業績と裏腹に、徐々に行動面での疑問、または攻め過ぎではないかという心配をさせる意思決定などが本書では目に付きはじめ、よくいえば「勢い」が、悪く言えば「違和感」を覚え始めるのがこの頃。

「俺が日本の不動産業を変えてやる」いつしか私は、大それた使命を自分に課し、さらなる高みを目指して突き進むようになっていく。150億円を超えた売上げも「300億円を目指せ」となり、300億円を達成すれば「次は600億円だ」と、目標とする金額が膨らんでいく。「一気に、東証一部まで駆け上がるぞ」私は社員に向けて、ことあるごとに口にするようになっていた。
上場を果たした2005年から2007年にかけて、まさにエスグラントは飛ぶ鳥を落とす勢いで業界を席巻したといっていいだろう。億の金を元手に数十億円の物件を動かす面白さ私も勢いに乗っていた。テレビや雑誌の取材、講演依頼にも毎週のように応じていた。クリエティブ・ディレクターのNIGOさんの要請で、仕事に関係のないファッション誌のモデルを務めた。

でも、まあまあ。この辺までは分からないでもない、というか。

凄まじい忘年会に、派手な生活
また、エスグラントの忘年会では、麻布十番のクラブを貸し切りにして500人以上を集め、当時人気絶頂の湘南乃風に来てもらったりもした。翌年のゲストは氣志團だった。

従業員も、最高のステージ・最高のシチュエーションで表彰されることが最大のモチベーションにもなっていたよう。ド派手な忘年会で勝利の酒を味わい、踊り、会社の永久の成長を信じる。とても象徴的なイベントだったようです。この忘年会は、後程、凄まじい地獄も描かれるので、対比すると痺れます。本書の面白さが凝縮しています。

ロリンザーフルカスタムのベンツSLに乗って出社して、一着50万円以上するブリオーニのスーツに身を固め、時計はデイトナのアンティークからダイヤだらけのカルティエサントスまで幅広く所有した。プライベートのファッションも、クロムハーツ、ゴローズなどのアクセサリーから、ディオール、ドルガバ、グッチまで買いまくった。高級セレクトショップの「リステア」で、毎週何十万円と洋服を買うような生活だった。
上場直後は、毎日のように上場記念パーティーと称して飲み歩いた。ロマネコンティを一気飲みして「ワインの神を冒涜するな!」と先輩に激怒されたこともある。そればかりか、ペトリュスの82年を紙コップで開けるなど、傍若無人な行ないを重ねていた。

何のために経営をしているのか、結局金でしょ、といわれても仕方のない派手な生活。有頂天なのか、または散財し飲み歩かなければ精神が保てないほど、仕事自体は潜在的にストレスのあるものだったのか。とにもかくにも、羨望の眼差しで見られるべき羨ましい日々でもある。我が世の春を謳歌し、全能感に包まれ、尊敬を集める日々は、さぞかし貴重な経験だったのでは、とも思うわけです。

2007年6月期、エスグラントは売上高377億円(前期比199%)、経常利益23億8000万円(前期比201%)という過去最高の決算となった。30歳になった私の目はエスグラントの東証二部、そして一部への上場、東南アジア進出を見据えていた。

さて、ここまでで栄光パート。上場し、なおも業績絶好調な中、高級ブランド尽くし、飲み会尽くし。よくここまで書いてくれたな、と思うほど描かれており、続きは、本書を手にとってその全貌をぜひご覧いただきたいところ。

地獄の始まり。サブプライム問題

「パーティーの音楽が、いつか止むことはわかっている。そして、止んだ瞬間に踊っている者に待ち受ける運命も。しかし、音楽が鳴っている間は、我々はただ踊るしかないのだ」

私、その時学生でしたので、あまりリーマン・ショックまわりの知識に詳しくなくて。何が何故起きたのかはぼんやりと理解しているけど、日を追って当時を振り返ることはありませんでした。

で、勘違いしてたのが、リーマン・ショックってある日突然起こったことだと思ってたんですよね。実際は異なっていて。サブプライム危機が1年位ずーっと起きてて、ある日突然全てが壊れたのではなく、1年かけて実はじわじわと全部壊れてた感じ。真綿で首を絞められるような感覚だったでしょう。

いやマジ地獄のはじまりですね。

マーケットの活況とともに徐々にアメリカの長期金利は引き上げられ、2006年頃から、住宅価格の上昇に歯止めがかかり始める。無理なローンを組んだ低所得者層は次第に返済が滞るようになり、2007年4月には、アメリカのサブプライムローン業界2位の座にあったニューセンチュリーフィナンシャル社が経営破綻する事態を招いていた。

サブプライム危機の先頭バッターはアメリカ・ニューセンチュリーフィナンシャル社の経営破綻だったようですが、日本でのリアクションはこんな感じ。

「サブプライムは、日本にどこまで影響をおよぼすと思う?」私の質問に、前田は少し困った表情になった。「うーん。相当の影響があることは間違いないでしょうけど。予測は難しいですね」「ところがだ、ロイターのニュースによると、FRBのバーナンキ議長は、サブプライム問題は金融市場にそれほどの影響は与えないだろうと議会で発言したそうだ」「本当にそうでなんでしょうか?」

次第に広がっていく中、いずれ不動産価格は反発するだろうと睨み、物件の仕入れを欠かさなかったエスグラント。例によって私の小さな経験で比較をすると、下がり続ける株を切れずに大損失を出したことはありますが、いずれ下げ止めるであろうという判断、当時は出来なかったのは致し方無いことなのだろうか。というかFRBのバーナンキ議長もわかっていなかったようですからね。

サブプライム問題の影響で、8月頃からヨーロッパなどで不穏な波が起き始めていた。(中略)日本では、8月17日には日経平均株価が年初来安値を更新して1万5000円台に落ち込んだ。この段階ではまだ公表されていなかったが、日本の多くの銀行も、サブプライムローンが証券化されたデリバティブ(金融派生商品)への投資で、巨額の損失を出し始めていたのである。
「これはまずいぞ」融資を渋る銀行担当者の表情から、私は直感的な恐怖を感じ取っていた。
ついに破綻のはじまり
それどころか、不動産価格の下落が始まれば、目一杯レバレッジを効かせて保有している不動産の担保価値も下がり、一気に経営破綻の懸念まで生じてくる。低頭して社長室から出ていく銀行担当者を見送りながら、私は自分の背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。
マーケットが上昇している時は、レバレッジは大きな武器になる。しかし、下降局面に入ればレバレッジの刃が自分に向けられることになる。まさしく、レバレッジは諸刃の剣なのだ。

この時の心情は全部引用したいくらい、リアルな状態が日に日に描かれています。

私も、円ドル80円から120円にかけての時代、クレジットカードで仕入れた海外ブランド品の販売をしていたことはありますが、マーケットの動きは読めない。読まなきゃいけないし、多少の想定外と言われる変動でも耐えられるように設計をしないといけない、といわれればそれまで。私はそのビジネスは売却しました。円ドル110円くらいの時に売ったから、ババ抜きには一応勝ったし、銀行取引もなかったから良かった。とはいえ、あれだけでもなかなかの地獄のものだし、業績が伸びている(はず)なのにお金が増えてるのかなんなのかもわからなかったことがあります。

杉本氏には、私とは規模も水準も違う利害関係者がいて、大切な仲間もたくさんいたことと想いますが、読んでるだけでもハードな日々です。

いよいよ窮地に
銀行の締めつけは、私の想像を超えていた。ワンルームマンションを建設するための用地取得にも、新規の融資はまったく受けられない。それどころか貸し剥がしに遭う始末だった。エスグラントの経営は一気に崖っぷちに追い込まれていった。
サブプライム問題の深刻化からわずか3カ月。エスグラントはいよいよ窮地へと追い込まれた。信じられないスピードだったが、マンション以外の物件がぴくりとも動かなくなった。エスグラントのために、株を担保にレバレッジをかけて開発に張っていた個人の資金繰りも立ち行かなくなった。
離婚も経験
私が妻を怒鳴るのは、この夜だけのことではなかった。私自身、まだまだ精神的に未熟だった。妻の心配をシャットアウトして「仕事のことで俺に話しかけないでくれ」と拒絶することしかできなかったのは、今ではとても後悔している。
会社が坂道を転げ落ちるような苦しさに直面していた私にとって、離婚は少なからず衝撃的な出来事だった。ことに、まだ2歳のかわいい盛りだった娘との別れは辛かった。家庭という歯止めを失って、酒量もますます増えていった。この離婚を境に、私はさらなる奈落の底へと落ちていくことになる。

いや、娘との別れはつらすぎるな・・・いま、会わせてもらってるんでしょうか。ビジネス的な面とかを考慮し、例えば嫁に負債を背負わせないために離婚のような法的判断をすること、これは経営者なら万一に備えて考えたことはなかろうかと。さらに甘かったのは、そういう判断をしてもきっと変わらず暮らしていくんじゃないかともどこか妄想内では片付いていたわけで。これを見ると、決してそうでもないよう。特段、娘と会えない、これはちょっと私も想像できないというか、しんどいですね。「そのような事が起きないよう、がんばろう」そう思い直した一文でもあります。とんでもないエクスペリエンスですね。

リーマン・ショックの発生

2008年9月15日。アメリカの投資銀行、リーマン・ブラザーズが破綻した。サブプライム問題の混迷も、日本には限定的な影響に留まるのではないか。低迷を始めていたマンション価格も、再び上昇に転じるに違いない。甘い思惑はすべてが幻想であったことに、ようやくあらゆる人が気づいた
格闘技の試合で、頭に強い打撃を受けてダウンすると、その前後の記憶が抜け落ちることがある。つまり失神KOだ。リーマン・ショックの衝撃は、私の人生にとってまさに強烈なカウンターの一撃になったのだろう。2008年9月頃からおよそ半年余りの間、私の記憶はやや断片的になっている。

リーマン・ショックの前に、エスグラントは身売りし、ユニマットグループとして経営を建て直していたところ。その後にリーマン・ショックでとどめを刺された形で、一気に破綻の道を進んでいくわけです。

私にも一応、資金繰りに窮して人を当たったり、それでも給与は絶対払わなくてはと財布をすっからかんにしたこともありますが、そんな想い出と重ねて読むにつれ、吐き気されしてくるパートです。なんでこんな想いをしながら本を読まなくっちゃいけないんでしょうか。特に栄光パートとの比較をしちゃうとね。いやぁ、素晴らしい読書体験です。

地獄の日々

エスグラントの経営は、みるみるうちにどん底へと転がり落ちた。株価は断崖絶壁から突き落とされたかのような状況で、1年前の15分の1に落ち込んでいた。株を担保に借りた個人資金も返済が滞るようになっていた。会社のキャッシュフロー悪化は深刻で、銀行への返済が滞るばかりでなく、自社物件のマンションを建設してくれたゼネコンへの支払いもできなくなり、200万円ほどのパンフレットの印刷費さえ払えなくなっていった。
9月の月末を超えて10月になると、エスグラントの社長室には督促や返済のリスケジュールの打ち合わせに債権者が押し寄せるようになった。まさに、針のむしろに叩きつけられるような日々の始まりだ。

先ほどの「離婚」もそうとうな地獄でしょうけども。支払いの督促に、返済リスケジュールの打ち合わせなんてマジ地獄なんですが、これがまだまだ地獄の始まりで、底が見えないのがまた当時の金融情勢の底なし加減を表していますでしょうか。

「杉本君は払う払うと言うばかりだが、実際に金を見ないともう信用はできない」「いや、お支払いできる当てはあるんです。何とかもう少しお待ちいただけないでしょうか」「いや、待てない。このままお前の会社が倒産したら、うちも破産するしかない。そうなったら、お前を殺して、俺も死ぬ」

ここで定番アイテム「ガラスの灰皿」が出てきますが、ここでは自分の側にさりげなく寄せることで、回避。よかった。結局その後、別の人に「ガラスの灰皿」投げられるんですけどね。。結局、投げつけられるんかいっみたいな。本書では、もうそんな人達が何人でてくるんですかってくらい、必至に資金回収に望む人物や、死に体の会社から少しでも旨味を吸い取ろうと近寄ってくるハゲタカ・ヤクザまで、魑魅魍魎な様相。本を見るとまだこの辺で半分過ぎたくらいですから、えっ、どんだけ地獄続くんですか、と冷や汗も。

役員を切り刻んでいく
私は前田と資金繰りについての話し合いをしたうえで、エスグラントとグループ会社の役員たちを招集した。「エスグラントはもう風前の灯火だ。グループ会社を売却しようと思う」

ここで、創業メンバーの役員までを切り刻んでいきます。ここで切られる役員は、その後の動向で言えばそのほうがよかったわけで、いろいろと案じます。

地獄の忘年会
仲村は泥酔したまま私から渡された表彰状をくしゃくしゃに丸めてスピーチ中の社員に投げつけた。すると、酔いの回った社員が次々に表彰状を丸めて床に投げつけている。「おい、いい加減にしろ」立ち上がりかけた私に仲村は言った。「いったい、俺たちはどうなるんですか?」私は10年以上寝食をともにしてきた仲村の問いに答えられなかった。

栄光パートでは、麻布十番貸し切りで豪華なゲスト、権威ある表彰式だった忘年会。渋谷の安い箱を借りて実施した忘年会では、「社員が次々に表彰状を丸めて床に投げつけている」なんて、これヤバすぎませんか。

いたたまれなくて、その場にいれないと思うのですが。

深夜のシャワールームで手のひらに抜け落ちた髪の毛を見ていると、腹の底から、たとえようもない悔しさが湧き上がる。「いったい、なぜこうなったんだ。どこで歯車が狂ったんだ……」悲鳴を挙げ始めた自らの肉体を鏡に映し「いっそ死んだほうがましだ」とまで考えた。シャワールームを出ると、扉の脇に白いタイル張りの壁が目についた。「くそお」と呻くような声を漏らしながら、タイルの壁に自分の拳をぶち当てる。ゴッと鈍い音がして拳が裂けた。真っ白なタイルに鮮血の染みができ、その赤さがまた自分のなかの悔しさを沸騰させる。

ストレスで髪の毛が抜けた記憶はないな・・・私もまだまだあまちゃんなのでしょうか。シャワールームでむせび泣いたことも無いし、タイル張りに殴りかかって白いタオルを鮮血で染めたこともないな。

人が本当に追い込まれて、一人で抱えているとき、どうなるのか。自分の光栄だけを残す晩年の自伝書ではありえない部分まで照らされており、どのシーンも、移動中、風呂、睡眠前と私の脳裏に思い出されるのです。

民事再生

そして民事再生を申請。会社を民事再生したことはありますか?当日どんな感じになるのか、知ってますか?場合によりけりとは想いますが、こんな感じだそうです。

帰り着いた会社がやけに静かだったことも覚えている。午後になってエスグラントが民事再生を申請したニュースが流れると、昨日まではひっきりなしに鳴っていた債権者からの電話がぱたりと止んだ。まさに「会社が死んだ」ことを実感させられる、凪のような静かさだった。

まだ会社の再起の可能性が1%でもあるならと。誠実に全てを片付けようと。最後は銀行にとどめを刺され、民事再生を選択する杉本氏。

安堵。いや、そうではない。肉体から大切な何かが抜け落ちて、底抜けの闇のなかでじっとたたずんでいるような気分だった。
杉本氏本人は、自己破産
私個人の民事再生に対して、債権者は納得してくれなかった。「この額は返せないでしょ。さっさと、破産してくれ」「いや、民事再生なんて生ぬるいことでは役員会を説得できない」「自己破産して、社会的制裁を受けてくれ」ある債権者は言った。「なんなら、杉本さんが死んでくれたら話は早いんですが」

民事再生はおろか、自己破産エクスペリエンスなんて、したことないのでわからないのですが、債権者の罵声はこのようなバリエーションになってくるのですね。

さらには、きっと味方と思っていた弁護士からも突きつけられる辛辣なメッセージ、上から目線、敵視、蔑む目線というのは、またしんどかったのではなかろうかと。というか当番弁護士で自己破産する人は、こんな感じになっちゃうんですね。(当番弁護士以外で自己破産というのもなかろうが。。)

「杉本さん、あなたは犯罪者も同然なんですよ。会社のほうでも株主や債権者、そしてお客様、どれだけたくさんの人に迷惑をかけたと思っているんですか。そして、今度は個人で自己破産だ。お金を貸してくれた人たちは、あなたに騙されたようなものですよ」

栄光と地獄を刮目し、ビジネスの活力にしよう

杉本氏の栄光と地獄を、一面しか切り取っていないので、彼の努力や誠実さ、著名な経営者から可愛がられた人柄など、十分に描ききれていません。しかし、たった1620円の本書でジェットコースターのようなビジネス体験を得ることができるのだから、なんともコストパフォーマンの良いこと。

どんよりと暗い部分の多い描写を見ながら、そしてちゃっかり疑似体験を楽しみながらも、自分の中でなにかストンと落ちて、ああビジネス頑張ろうかな。そう思わせてくれます。ここまで記事を読んでいただいた方がいましたら、「THE READING EXPERIENCE」の視点が広まるといいなと思っています。

「30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由」というタイトルにあるように、その理由についてはぜひ本書を手にとってください。

30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由

30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由